第1章 基礎知識


化学兵器とは


 「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」(第14章で詳しくお話しします)の第2条第1項では、この条約で対象となる化学兵器について、つぎのように定義しています(外務省訳)。


「化学兵器」とは、次の物を合わせたもの又は次の物を個別にいう。

(a) 毒性化学物質及びその前駆物質。ただし、この条約によって禁止されていない目的のためのものであり、かつ、種類及び量が当該目的に適合する場合を除く。

(b) 弾薬類及び装置であって、その使用の結果放出されることとなる(a)に規定する毒性化学物質の毒性によって、死その他の害を引き起こすように特別に設計されたもの。

(c)  (b)に規定する弾薬類及び装置の使用に直接関連して使用するように特別に設計された装置


 これを読むと、化学物質本体(a)と、それを兵器として敵に投射する手段(b) (c)とを合わせて化学兵器と呼んでいることがわかります。本書では、(a) 化学物質本体については第2章から第9章で、(b) (c) 投射手段については第10章で、それぞれ説明していきます。


 毒(poison)とは、生物の生命活動に望ましくない影響を与える物質のことです。そのうち、一般に化学兵器として分類されるのは人工的に生成された化学物質だけで、生物由来の毒(動植物から抽出したもの)は生物兵器のほうに分類されることが多いです。本書でもそれに倣い、生物由来の毒は、のちほど出版予定の『生物兵器』で取り扱います。


 また、化学兵器が俗に「毒ガス」と呼ばれることからわかるように、気体状もしくは霧状にして吸引させるのが主流です。詳しくは第10章でお話ししますが、これは、人体に取り込みやすくするためです。ただし、「毒ガス」というのは俗な表現が大好きな日本人的な表現で、本来は望ましい言葉ではありません。後述するように、必ずしもガスではないからです。欧米では「化学兵器(chemical weapon)」と呼ぶか、それに使われる化学物質をとくに区別する場合には、「化学剤(chemical agent)」と呼びます。本書ではこちらのほうを使います。


化学剤の一覧


 表1に、化学剤の一覧を示します。化学剤は、その効能、「どうやって人体に有害な影響を与えるか」によって分類されることが多いです。つまり、窒息させるか、爛れさせるか、神経回路をおかしくさせるか、などです。本書でもそれに倣い、効能ごとに、それぞれ「〜剤」という名称で、分類しておきます。


 また、開発された年代を見ると、窒息剤と糜爛剤は世界大戦期以前に開発され、実戦使用も同大戦であったのに対して、神経剤の初期のものは大戦間期に開発されたものの、使用されたのはずっとあとであることがわかります。