『兵器の科学』シリーズ刊行にあたりまして
当然のことながら日本人にも良い面も悪い面もありますが、悪い面のひとつに、「寝た子を起こすな」という考えがあります。必要以上に知らせない、できるだけ人々を無知に保っておく、というものです。たとえば太平洋戦争後の日本で広まったもののひとつである、軍事関係の事柄を覆い隠し、国民の目に触れないようにしておけば、二度と戦争など起きないだろう、などというあまりに安直な考えもそれにあたります。
なぜ安直だと言えるのか。それは、自分のことばかりに目が行き、相手のことをまったく無視してしまっているからです。しかし、戦争は自分と相手、両者の間で起こるのであって、自分がすべての兵器とその知識を放棄して両手を挙げても、相手が同じことをしてくれるわけではないのです。
別に僕はここで「だから敵を圧倒する戦力を整備せよ!」と言っているわけではありません。どのような軍備を保持するかは、その国の国民が議論して決めることで、その結果多くの戦力を放棄してしまっても、自分たちで決めたことなのでそれはそれで仕方ありません。しかし、必要かどうかを議論するためにはそれに対する知識がなくてはなりません。そして、自分たちが放棄したとしても、相手側が保持している兵器に関しては、知識だけは持っておきなさい、ということを言いたいのです。
攻撃してくる相手を前にして、もっとも恐ろしいことは、「相手が何をしてくるのかわからない」ということです。手の内がわからないことほど恐ろしいことはありません。戦争に限らず、どのような事態に対しても、その対処方法は、何が起きているかを知り、それがどういう仕組みで起こっているかを理解したうえで、それに対して有効な手段を取ることです。そのためには、相手の手段に対して充分な知識を持っていることが不可欠です。相手の手段に対して無知な、「寝た」状態では、どうしようもないのです。実際、兵器について世界でもっとも詳しい組織のひとつは、アメリカ科学者連盟(Federation of American Scientists、FAS)です。アメリカ合衆国の科学者たちは、兵器に関する「知」を集約することで、平和に貢献しようとしているのです。兵器について無知な人たちが訴える平和と、兵器について知り尽くした人たちが訴える平和とでは、どちらに重みがあるか、誰の目にも明らかだと思います。
それに加えて、この「寝た子を起こすな」は、安直なだけでなく、あまりに人間を馬鹿にした考えだと言わざるをえません。とくに情報化社会の現代において、ずっと目に触れないように隠し続けられると考えるほうがおかしいのです。人間の「知りたい」という欲求をなめてはいけません。その好奇心こそが、人間がこの地球上に繁栄した原動力のひとつであるからです。
そして厄介なのは、ちゃんと系統的に学んでいない状態で、中途半端に特徴的なキーワードだけ頭に入ってしまった場合です。たとえば数年前のコロナ騒ぎで一躍話題に上った「PCR検査」。この言葉を目にしない日はないと言ってもいいほどメディアに取り上げられ、そしてごくごく一般の人ですら安易に口にしてしまっていた言葉であります。ところが、これがいったいどのような検査なのか、何を検査しているのか、理解している一般人はほとんどいないのではないでしょうか。さらに言えば、これがポリメラーゼ連鎖反応(Polymerase Chain Reaction)の略であることすら知らない一般人が大多数ではないでしょうか。なのに、この検査をすればまるでその対象の病気が消え去るかのように、もっとやれもっとやれと急き立てる世論になってしまっていました。
別に一個人がさまざまな分野の事柄に精通している必要などどこにもありません。しかし、知らないなら知らないで黙っていればいいものを、人間はそういうものではないらしく、新たに耳にしたキーワードを、その中身を理解せずに、ついつい振りかざしてしまいたくなるものなのです。そして、単に振りかざすだけでなく、有害な社会的影響を与えてしまっていることは、コロナ騒ぎを見ても明らかでしょう。
「なぜそうなっているのか」という仕組みを理解しようとせずに、結論だけ知りたがる人は、残念ながらこの日本にはとても多いです。確かに人生の時間は限られていますし、一からちゃんと学んでいくのは手間だと思うのはわかります。しかし、基礎的な知識や基本的な考え方を身につけないまま結論だけを求めると、世に出ている事柄を、その意味するところを、本質的に理解できないまま、表面的にだけ知った気分になり、それが結局は曲解につながるのです。マスコミを中心に日本に蔓延する「キーワード主義」はここにあります。中身が理解できないから、印象的なキーワードだけにこだわるのです。
僕が本シリーズを始めようと思ったのは、こういう「キーワード主義」に陥らず、物事の本質を理解してくれる人を、少しでも増やしたかったからです。専門家、あるいはそれをちゃんと理解している人が、「素人は黙っとれ」と言うのはかんたんですが、いっぽうで、広く一般の人たちにも理解してもらうことは、多くの面で有益だと思うのです。
とは言え、中には僕が専門とする分野以外のことも多く含まれますから、その僕が書いていいのか、という気持ちもあります。ですので、本シリーズでは、大上段に構えて「教えてやるぞ」という態度ではなく、僕と一緒に、いろんな技術を見ながら考えていきましょう、という姿勢で進めていきたいと思います。そして、本書で扱う内容はあくまでも「入口」であって、これらに目を通された読者のみなさんが、その中で興味を持たれた事柄をさらに詳しく調べることの、きっかけにすぎない、ということも強調しておきたいと思います。それであれば、僕のような浅学の者でも、ガイド役を務めることができるだろう、そう思って、僭越ながら筆を執りました。
本シリーズで取り上げるのは、きわめて幅広いミリタリーの分野の中から、技術に関することです。たとえば書店に行き、ミリタリーの棚に行くと、並んでいるのは、戦史・戦記や、人物像や、軍事情勢や、そういったものが主流であって、兵器について解説しているものは少数派です。その兵器についての解説本も、見た目の違いを解説するものが多く、その兵器がどのような仕組みで動いているのか、技術的な解説をしたものは少数です。そして、その技術的な解説を定量的に扱ったものに至っては、その中のさらに少数派です。そういった本を見るにつけ、技術的な、あるいは科学的な側面について書いてあると称しながら、なぜグラフのひとつも載せていないのかと、物理学者の僕は不思議に思うのです。そしてそうなっているのは、そこに使われている技術を本当の意味では理解していない人が書いているからではないだろうか、と勘繰ってしまうのです。たとえば本シリーズの先頭を飾る「弾道弾」に関することで言えば、弾道弾の軌道を「放物線」と書いてしまっているものが多数見受けられます。しかし実際には楕円軌道なのであって、それを理解していなければ軌道の計算ができないはずです。つまり、「放物線」と書いている段階で、その人は、科学的な中身を理解していないし、自分では計算をしていないことを告白しているようなものです。そういう人がどこかからもっともらしい数字を引用して「技術的なことを解説した」と言っても、はいそうですかと納得する気にはなれないではありませんか。だからこそ、本シリーズで、あらためてちゃんと「仕組み」を見直して、読者のみなさんと一緒に考えていきましょう、ということなのです。
また、本シリーズに書かれている内容には、極秘事項も、新たな発見を伴う事項もありません。論文や専門書を読めば載っていることを、集約したものです。と言うと、なんだそれだけのものか、と思われるかも知れません。ところが、なぜか、その「集約しただけの本」が、世の中に全然出回っていないのが現状なのです。あるテーマについて、そこに使われている技術が断片的に載っていることはありますが、それを系統的に一冊の本にまとめたものがないのです。
かつて僕が『核兵器』(明幸堂)を出版したとき、否定的な書評の中には、「どれも論文を読めば載っていることじゃないか」というものがありました。それに対しては、その通りです、としか言いようがありません。実際に『核兵器』には、それぞれの部分をどの論文から引用したのか、ということを詳細に書いています。では、世の中に、核兵器の動作原理について、一冊の中にちゃんと系統的に学べるようまとめた、一般に入手可能な本があるかと言うと、それはないのです。だから僕はそれを書いたのです。
本シリーズも同じで、いろんなところに少しずつ載ってはいるものの、それらを一冊にまとめ「この一冊を読めばとりあえず入門編としてはひと通り学べるようにした本」がこれまでなかったから、それを始めたわけです。もともとそれがあれば僕がわざわざ書く必要もありません。そもそもの動機は、僕自身がそれを読みたかったから、自分のための「まとめの一冊」として書いたまでです。
本シリーズは、イヴェントハウス「東京カルチャーカルチャー」にて二〇一五年から二〇一九年にわたって計一六回行われた「ミリタリーテクノロジーの物理学」の講演がもとになっています。もともとこの講演は、講演後にその内容をもとに加筆して新書で出すという立体的な企画を考えていたもので、その第一弾としてイースト・プレスから新書版『核兵器』が出版されました。それに「ミリタリーテクノロジーの物理学」とサブタイトルがつけられていたのはそのためでした。しかし、あまり売れなかったために打ち切られ、結局それは一冊だけとなり、シリーズとしては成り立ちませんでした。しかし講演のほうはありがたいことに好評を博して続けさせていただくことができ、その講演録(プレゼンテイションファイル)が着実に積み重なっていきました。途中からは、その講演内容をまとめた冊子を次回の講演にて配布する試みもいたしました。しかしやはりちゃんとした形で残したいという想いは常に抱いておりました。
その幻のシリーズとも言うべきものを、このたび、明幸堂さんのご厚意により、刊行させていただけることになりました。新たなシリーズを始めるにあたり、「もっと単純明快なシリーズ名を」ということと、「物理学だけでなくもっと広い範囲に広げて」ということを兼ねて、『兵器の科学』というシリーズ名を冠しました。
本シリーズを世に出す機会を与えてくださった明幸堂の高良和秀さん、そのもととなった講演をプロデュースしてくださったテリー植田さん、そしてこれらの書籍を手にしてくださったみなさんに、心より感謝いたします。
ありがとうございます。
そして、よろしくお願いいたします。